ようこそ、歴史の袋小路へ。失敗学の博物館、館長のオパビニアです。
前回は、17世紀のスウェーデンで建造された豪華絢爛な戦艦「ヴァーサ号」が、出航からわずか数十分で沈没した悲劇を見ました。重心計算を無視して大砲を積みすぎた、王様のトップダウンが招いた失敗でしたね。
さて、今回は時計の針をぐっと現代に進めましょう。舞台は21世紀のロンドン。
皆さんは、こんなSF映画のような話を信じられますか?
「ただ建っているだけで、通りすがりの車や人を熱線で攻撃するビル」の話を。
冗談ではありません。悪の組織の秘密基地でもなければ、エイリアンの侵略兵器でもない。
世界的な著名建築家が大真面目に設計し、大金をつぎ込んで建設された最新鋭のオフィスビルが、ある晴れた日の午後、とんでもない牙を剥いたのです。
それはまさに、物理学が生んだ現代の「ポルターガイスト」。
さあ、美しくも恐ろしい「殺人光線ビル」の謎を解き明かしましょう。
意図せぬ「太陽の兵器」
舞台は2013年、イギリス・ロンドン。
金融街「シティ」の一角、フェンチャーチ・ストリート20番地にて、一つの巨大なビルの建設が進んでいました。
そのビルの名は、「20 Fenchurch Street(20フェンチャーチ・ストリート)」。
地上37階建て、高さ160メートル。
このビルには大きな特徴がありました。通常のビルは下から上まで真っ直ぐ伸びるか、あるいは上に行くほど細くなるのが一般的です。しかし、このビルは逆でした。
根本が細く、上層階に行くほど広がっていく独特のシルエットを持っていたのです。その姿が携帯無線機に似ていたことから、ロンドン市民からは親しみを込めて——あるいは少しの揶揄を含んで——こう呼ばれていました。
「ウォーキートーキー(Walkie-Talkie)」と。
設計を手掛けたのは、ウルグアイ出身の世界的建築家、ラファエル・ヴィニオリ氏。
彼の意図は非常に論理的かつ「善意」に基づくものでした。
「地価の高いロンドンでは、地面の占有面積を小さくして公園にし、賃料の高い上層階の床面積を広くした方が合理的だ」
「ビル全体を緩やかにカーブさせることで、美しい眺望とデザイン性を確保しよう」
彼らは本気でした。環境に配慮し、人々に開放的な空間を提供し、ロンドンの新しいランドマークを作ろうとしていたのです。
誰も、「それ」が完成間近に何を引き起こすか、想像すらしていませんでした。
ロンドンの街角で「目玉焼き」が焼ける時
異変が起きたのは、2013年の夏、ビルの外装ガラスがほぼ貼り終えられた頃でした。
9月のロンドンは、珍しく抜けるような青空が広がっていました。
ある日の午後、実業家のマーティン・リンゼイ氏は、愛車のジャガー・XJをビルの近くの通り(イーストチープ通り)に駐車し、商談に向かいました。高級車ジャガーの黒いボディは、太陽の下で美しく輝いていたはずです。
しかし、約2時間後。
彼が車に戻ってきた時、目に飛び込んできたのは信じがたい光景でした。
ジャガーのサイドミラーが、まるでダリの絵画のように歪み、プラスチックのボディパネルがドロドロに溶けていたのです。
さらに、エンブレムのバッジも熱で変形し、車からは焦げたような異臭が漂っていました。
「一体何が……?」
彼は周囲を見渡しました。誰かが火をつけたわけでもありません。
ただ、空を見上げると、そこには太陽を反射してギラギラと輝く「ウォーキートーキー」がそびえ立っていました。
被害はジャガーだけではありませんでした。
通りの向かいにある理髪店では、店先に置いてあったウェルカムマットから煙が上がり、焦げ跡がつきました。
近くに停めてあった自転車のサドルは、高熱で変形して座れなくなりました。
レモンのような柑橘類が熱で乾燥し、プラスチックのボトルが溶け落ちるという報告も相次ぎました。
現場はパニックというより、狐につままれたようなシュールな空気に包まれました。
「おい、あそこを見てみろ。光が地面を焼いているぞ!」
人々は、ビルから反射された強烈な光が、一点に集中して道路を照らしていることに気づきました。
噂を聞きつけた地元の新聞記者やテレビクルーたちが、こぞって現場に駆けつけました。
そして、彼らが何をしたと思いますか?
彼らはフライパンと生卵を手に取り、その「光のスポット」に置いたのです。
結果は、皆さんのご想像通りです。
ジュウジュウという音とともに白身が固まり始め、見事な目玉焼きが完成しました。
ある記者は温度計をかざしました。その数値は、なんと90℃から110℃近くを示していたといいます。
世界中のメディアがこのニュースを報じました。
「ロンドンの新名所、車を溶かす!」
「ウォーキー・トーキー(無線機)ではなく、ウォーキー・スコーチー(焦がし屋)だ!」
「いや、フライスクレイパー(揚げ物摩天楼)だ!」
開発業者と建築家にとって、これほど不名誉な「バズり方」はなかったでしょう。
巨大な凹面鏡の罠
なぜ、最新鋭のオフィスビルが「殺人光線(デス・レイ)」を放つ兵器となってしまったのでしょうか?
原因は驚くほどシンプル、かつ物理的な法則そのものでした。
「ビル全体が、巨大な凹面鏡になっていたから」です。
このビルは、テムズ川に向かって南側に面しており、デザイン上の理由から壁面が緩やかに内側へカーブしていました。
太陽が南の空にある特定の時間帯(正午から午後2時頃)、太陽光はビルのガラス面に当たります。
通常の平らなガラスなら光は分散して反射しますが、凹面(お椀のような形)になっているため、反射した光は一点に集まります。
小学校の理科の実験で、虫眼鏡を使って太陽の光を集め、黒い紙を燃やしたことはありませんか?
あれと全く同じ現象が、高さ160メートルの巨大なスケールで発生してしまったのです。
集められた太陽光の強度は、直射日光の約6倍にも達しました。
それが、ちょうど地上の通り(イーストチープ通り)に焦点を結んでしまったのです。
しかし、ここで疑問が浮かびます。
「今の時代、コンピュータでシミュレーションくらいしているはずでは?」
その通りです。彼らは当然、日照シミュレーションを行っていました。
しかし、一説によると、彼らの計算には致命的な見落としがあったと言われています。
彼らは「影がどこに落ちるか」や「室内が暑くならないか」は熱心に計算しましたが、「反射光が外部にどれほどの熱量をもたらすか」という点については、リスクを過小評価していたのです。
あるいは、「太陽が高い位置にある夏場なら、反射光はもっと下(ビルの足元)に落ちるはずだ」と考えていたのかもしれません。
しかし実際には、太陽高度が変化する特定の季節において、光の焦点がちょうど「向かいの通り」を直撃するルートが存在したのです。
さらに衝撃的な事実があります。
設計者のラファエル・ヴィニオリ氏にとって、これが「初めて」ではなかったのです。
彼は以前、ラスベガスの「ヴィダラ・ホテル」でも同様の凹面デザインを採用し、プールサイドの客の髪の毛を焦がしたり、プラスチックのカップを溶かしたりする騒動(通称:ヴィダラ・デス・レイ)を起こしていました。
人類は、同じ石につまずく生き物ですが、まさか世界的建築家が同じ「凹面鏡」につまずくとは……。
オパビニアの私でも、目が5つあっても見抜けなかったことでしょう。
醜いアヒルの子のその後
このままではロンドンの街が焼き尽くされてしまいます(大袈裟ですが、ジャガーのオーナーにとっては死活問題です)。
事態を重く見た開発業者は、すぐさま対応に追われました。
まず、被害を受けたジャガーのオーナーには、修理費として約946ポンド(当時のレートで約15万円)が支払われました。
そして、根本的な解決策として、ビルの南側の窓ガラスに「ブリーズ・ソレイユ(日除け)」と呼ばれる水平のフィン(羽板)を取り付ける工事が行われました。
これにより、太陽光は分散され、殺人光線は消滅しました。
この改修工事には、数億円規模の追加費用がかかったと言われています。
2015年、このビルはイギリスの建築雑誌が選ぶ「カーバンクル・カップ(その年もっとも醜い建物賞)」を満場一致で受賞しました。
選評には、「環境を破壊し、車を溶かした凶悪なビル」といった辛辣なコメントが並びました。
しかし、物語はここで終わりません。
改修を終えた「ウォーキートーキー」は、その最上階に「スカイ・ガーデン」という無料の空中庭園(要予約)をオープンさせました。
ここからの眺めは絶景で、今ではロンドンの人気観光スポットの一つとなっています。
かつて地上を焼き尽くそうとした太陽の光は、今ではガラス越しに植物たちを優しく照らしています。
「フライスクレイパー」の汚名は、少しずつ過去の笑い話へと変わりつつあるのです。
失敗学の教訓
さて、この少し熱すぎる失敗から、私たちは何を学べるでしょうか?
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「既視感(デジャヴ)」を無視しないこと
建築家は以前にもラスベガスで同様の問題を起こしていました。「今回は場所が違うから(ロンドンは曇りが多いから)大丈夫だろう」という正常性バイアスが働いた可能性があります。過去の失敗データは、どんなに状況が違っても最大の教師です。
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シミュレーションの「外側」を想像する力
設計者たちは、ビルの「内部」の快適さや、ビルが落とす「影」については完璧に計算していました。しかし、ビルの「外側」に「光」がどう作用するかという視点が抜け落ちていました。自分の行動が、直接関係ないと思われる外部環境にどんな影響を与えるか(外部不経済)、視野を広く持つ必要があります。
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デザインと機能のバランスは、物理法則の前では無力
「上に行くほど広がる」「美しい曲線」というデザインは革新的でしたが、それが物理学的な「レンズ」としての機能を持ってしまった時点で、デザインは凶器に変わります。自然法則は、人間の美的センスに忖度してくれません。
終わりに
いかがでしたか? 太陽とガラスと計算ミスが生んだ、現代のイカロスのようなお話でした。
次回もまた、歴史の闇に埋もれた「愛すべき失敗」を掘り起こして参りましょう。
ちなみに、このブログを読んでいるスマホの画面も、太陽の下では反射して熱くなることがあります。
どうか目玉焼きを作ろうとはしないでくださいね。
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それでは、また次回の歴史の袋小路でお会いしましょう。